Cleo Skribent(クレオ・スクリベント) ゲスナー 21000 ジュート袋入りスケッチ用芯ホルダー

ルネッサンスによる近世的な新しい世界観への転換期の中で活躍した、
いにしえの鉛筆が4世紀の時を越えて現代に蘇りました。
いにしえの鉛筆が4世紀の時を越えて現代に蘇りました。
『鉛筆の元祖』
黒鉛を使用した鉛筆が歴史の舞台に最初に現れたのは、約400年以上前に博物学者コンラート・ゲスナーの記述であるといわれています。この芯ホルダーは彼のスケッチに残されていたものを再現したもの。まだ六角形の鉛筆が発明されていない頃ですが、彼はすでに芯ホルダーのようなものを考案していたようです。丸い筒状の木の先端に黒鉛の小さな固まりを詰め込んで使用していたとのこと。博物学者にとって野外での使用が必須である彼ならではの発想です。
黒鉛を使用した鉛筆が歴史の舞台に最初に現れたのは、約400年以上前に博物学者コンラート・ゲスナーの記述であるといわれています。この芯ホルダーは彼のスケッチに残されていたものを再現したもの。まだ六角形の鉛筆が発明されていない頃ですが、彼はすでに芯ホルダーのようなものを考案していたようです。丸い筒状の木の先端に黒鉛の小さな固まりを詰め込んで使用していたとのこと。博物学者にとって野外での使用が必須である彼ならではの発想です。
2002年 ISPAペンオブザイヤー受賞!
■コンラート・ゲスナー【Conrad Gessner】 (1516-65)
書誌学の父といわれ、スイスのドイツ系博物学者で、辞書の編纂や古代ギリシア時代に関する著作、文学史・文献学の研究、自然科学に関する著作で足跡を残しました。有名な著書に『博物誌』『動物誌』があります。
書誌学の父といわれ、スイスのドイツ系博物学者で、辞書の編纂や古代ギリシア時代に関する著作、文学史・文献学の研究、自然科学に関する著作で足跡を残しました。有名な著書に『博物誌』『動物誌』があります。
Cleo Skribent クレオスクリベントについて クレオは第二次大戦終結後の1945年、小さな町のバックヤードカレッジからスタートしました。戦後物資不足の中で、手に入る十分とは言えない資材と単純な道具だけでペン製造を始めました。そんな自分たちの状況を彼らはジョークとして『いにしえのエジプト人』様だと言っていました。創業者の妻Wurach 夫人は最初のペンコレクションの命名を検討した際、職人たちのジョーク『いにしえのエジプト人』から連想し『クレオパトラ』と命名しました。のちにこれがクレオのブランド名となります。クレオは創業後すぐにその地域が東欧となったため、国営ペン製造工場になりました。東欧時代のクレオが国際的に認知されるきっかけになったのは、製図用機器『スクリベント』からです。それはすべての旧東欧諸国で広く販売されていました。その後冷戦体制が崩壊したドイツが統一、時代が変わり国営工場だったクレオはその生産インフラと西側ではすでに稀少な存在となった多くの熟練工をそのまま継承し民営化しました。 |
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